こんにちは!好評の(?)仏教シリーズ第3弾!今回は“諸法無我”です。
前回の諸行無常と、なんとなく漢字は似ていますが意味は「縁起」に近いようです😅
諸法無我とは
自分という存在は固定的な存在ではありません。(中略)誰もが他のものによって生かされているのです。
「心があったまる般若心教」より
チャットGPTによると…
諸法無我とは、「すべてには、独立した固定の『我』が存在しない」という意味です。 」はあらゆる存在や現象、「無我」は「自己(我)」がないことを避け、世界のすべてのものは他のものに依存して反省しているため、永続的な実体がないといえます。
この教えにより、仏教は自己を固定した存在という考えを否定します。 私たちはしばしば自分という存在を独立した実体であると考えますが、実際には、身体も心も時間とともに変わり続け、また、感情や考え方もさまざまな環境や関係によって影響され、変化します。
そして、
「諸法無我」を理解することは、「自分」に対して執着や物への欲望から解放され、穏やかで柔軟な心育むことにつながります。現代においては、仕事や人間関係での悩み、物欲に対して執着して囚われがちな場面でも、物事が固定的なものではないことを思い出し、自由で心穏やかな生き方を目指す道しるべとして語られる。
ここまでがチャットGPTによる解説😃🤖
私の解釈
「生かされている」という考え方、社会人になりたての時に、当時の会社の会長や取締役の方が、おっしゃっていたのを思い出しました。
その感覚が中々理解できないまま、20代・30代を過ごしましたが、今はなんとなくわかったような気がします。
全て関係性で成り立っていて、その中にいる私たち。それを意識するだけで、自然と感謝の気持ちが湧いてくる。執着や煩悩から解放され、穏やかに過ごせる
私はそう解釈しました😀
常に意識できないかもしれませんが、悩んだ時や自分本位になりそうな時は思い出します✊