読んでくださるみなさんは考えたことありますか?
「何のために大学に行くのか?」
「学校は何のためにあるのか?」
「頭の良さって何なのか?」
今回は『ヒトはなぜ学ぶのか』安藤寿康著 をベースに探究していきたいと思います。
結論
まず結論です。
教育と学習とを生物的な観点で考えると、
わたしたちが学校で学ぶのは、頭をよくするためでも、豊かな生活をおくるためでもない。 一人ひとり異なる遺伝の影響が教育によってあぶり出されることによって、異なった知識の使い方をすることで互いに助け合いながら、生き延びることができるから。
その意味で、ヒトは進化的に生物学的に、教育で生きる動物なのだとも。
これを見て私は「サピエンス全史」を思い出しました。
我々ホモ・サピエンスは「認知革命」によって知恵を共有することで、
生き残って来たと。歴史的な観点からも、生物・科学的な観点からも
教育の本来の目的(最上位目標)は「他者のため、他者とともに生きるため」であると
いうことになります。
この本の冒頭で、このようなことがまず書いてあり、
私はとても賛同しました。「なぜ学校に行くのか?」ずーっと答えが出せずにいたからです。
私の仮説としては、「倫理観を学ぶため」と思っていました。
なぜかというと、仕事において一番必要なのは倫理観だと思うからです。
倫理観は「人と人とがよりよく生きる考え方」だと解釈しています。
それが希薄になってしまうと、うまくいかなくなることが多い。
私の実体験ですね笑。自分のことばかり優先させてる時は、結局うまくいかなかったなー😅
ヒトは本能的に教える生物?
血縁者でもない個体に対する利他性を互恵的利他主義と呼びます。
難しい言葉ですが、意味はカンタン。例えば、道を聞かれた時、
知っている道である場合、大抵の人は見返りなんぞ考えずに教えると思います。
つまり、ある行動が自分自身ではなく、同じ種族の繁殖や生存を助けることになることは
人間の遺伝子に組み込まれていると近年の研究であきらかになってきたそうです。
これってホント納得です。特に「教える」という行動は、年を取っていくごとに
強くなる傾向になるのかなあと思います。おじいちゃんおばあちゃんなんか、特に😀
数年前死ぬ間際の夢を立て続けに見ることがありました。死ぬとき、どんなことを思うのか?
その時私は「もっと何か残せたかもしれない…」でした。そう思うことを想像すると、
もっと行動しよう!人に何か良い影響を与えるようなことをしたい!って思い、
転職へ本格的に舵を切ったことを覚えています。
回りくどくなりましたが、互恵的利他主義が私の中で発現しはじめた瞬間だったかもです。
教育と遺伝
学業成績の個人差は、【遺伝が50%・環境30%・その他(個人の努力と教育など)20%】
これを見て、どう思いますか?
残念ながら、エビデンスに基づいた真実だそうです。
自分のことよりも、子供のときの友人とかを思い出すと、そうだなって思いません??
頭の良い子の親も頭良い、みたいな笑。で、そういう親がつくるからか環境もしっかりしてて、、、
ただ80%が自分の意思ではどうにもならないのならば、
20%にどう働きかけるかって考えたいですよね。って単純に私は考えましたが、
著者の安藤さんは別の考え方。50%の遺伝の中身をあぶり出すことで活路を見出す。
行動遺伝学の研究では、遺伝が強い分野(教科でいうと音楽・体育・図工)と
そうでない分野があると言われています。それらをある程度判別するために、
「学校」は良いのかもしれないという仮説も書かれていました。
そのように学校を定義すれば、適応できず苦しむ人も少なくなるかもしれない!と思いました。
遺伝と環境の交互作用
遺伝のあらわれ方が環境によって異なることを「遺伝と環境の交互作用」と呼ぶ。
別の言い方をすると、環境の影響の仕方が遺伝によって異なる現象ともいうことができます。
たとえば、生活環境に制約の多い田舎よりも、都会のほうが飲酒や喫煙の遺伝率が
高くなるという報告もあるそうです。
人間の行動は確かに環境の影響を受けるけれど、それは遺伝の影響を消し去るのではなく、
遺伝の差をどの程度顕在化させるかを変えているだけといえます。
そこで私が思い浮かんだのは、「音楽ファミリー」といわれる家庭。
親がピアノを習っていて、音楽も得意で家にもピアノがある家庭の子は、
ピアノを習い、やっぱり音楽的センスが合ったように思います。
これは遺伝だけも、環境だけでもだめですよね。
その相互に絡み合った混ぜ合わせが能力として出てくるという具合です。
それは、影響の少ないものにも言えると思います。
勉強は何のためにするのか?
勉強は何のためにするのか?➜それは・・・
自分なりの理解の仕方、取り組みの仕方、解決の仕方を、
自分の強みが生きる分野で統合して、発揮するため!
学習経験の中では、(環境的にも遺伝的にも)苦手なものもありますが、
ほんのわずかでも、その知識の断片をつなぎ合わせる時が来るかもしれない。
勉強方法やパターンをどこかで応用できるかもしれない。
そんな感じで、自分なりの意味を見出していくため に勉強をする!
その考え方に超納得です。大学進学にしても、就職にしても、
究極、自分なりに意味を見出せればすべてOKかなと、
キャリコンである私も、切に思います。
まとめ
ヒトは何のために学ぶのか?
冒頭の結論では、「他者と共生し生き延びるため」と述べましたが、
それだけでなく、「自分らしさ」を知るためであり、
「自分らしく」生きていくためとも言えると思いました😀
一生学び続けることは、自分らしさを追求すること、そして快適に、
幸せに生きることにつながるうだろうなと思いました!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました😁
これでは、ブログというより、読書レポートなので、
次回から軽~いものにします😅
参考文献
『ヒトはなぜ学ぶのか』 安藤寿康 著 講談社現代新書